ノーベル生理学・医学賞とセレンディピティー
御所野元町七丁目 松田幸久
ノーベル賞はスエーデン人のアルフレッド・ノーベルの遺言で1901年に設立されました。ノーベルは危険な爆発物である液体のニトログリセリンからダイナマイトを発明し、巨万の富を得ました。ダイナマイトは土木工事に使われるだけでなく、戦争で大量殺戮できる武器としても使われたため、彼は死の商人と呼ばれました。その汚名をそそぐために、“人類への最大の恩恵をもたらした人々”に国境を越えて、毎年この賞を賞金とともに送るように言い残しました。
ノーベル賞は現在5部門ありますが、生理学・医学賞は人間の健康に係わる基礎的研究による発見のみを対象とし、ヒトを用いた臨床医学は対象としないとされています。それは動物を用いず、すぐにヒトで実験することは倫理的に許されないからです。このことは生理学・医学の研究のために世界中で多くの動物が実験に使われたことを意味します。1901年にノーベル生理学・医学賞が初めて授与されてから2023年までに125件、226人(女性13人)が受賞しています。そのうち動物実験により受賞した件数は私が調べた限りでは87件(約70 %)でした。それらの動物の犠牲の上に人類は健康と福祉を享受していることを改めて考える必要があります。
セレンディピティーとは幸運な偶然に出会うという意味ですが、ノーベル生理学・医学賞の受賞者には幸運な偶然の出会いに恵まれた人が多くいます。今日は、その中の幾つかをお話しします。
なお、我が国のノーベル生理学・医学賞受賞者は1987年の利根川進に始まり、2018年の本庶佑まで5人います。ところが6人となっていた可能性があります。というのも1901年にドイツ人のベーリングが第1回のノーベル生理学・医学賞を受賞したとき、コッホの弟子でベーリングとともに四天王といわれた北里柴三郎が受賞者リストに加えられていたのです。しかし、ノーベルの“国境を越えて贈る”という意思は叶えられず、初期の受賞者は欧米人に偏っていたこと、また、今と違って一つのテーマで複数人が受賞することがなかったことなどから北里は第1回のノーベル生理学・医学賞の受賞を逃しました。
我々高齢者には残された時間は少ないですが、若い皆さんには多くの時間と無限の可能性があります。努力していればセレンディピティーに恵まれノーベル賞を取れるかもしれません。自分の可能性を信じて頑張ってください。
とは言っても、誰もが大谷翔平や将棋の藤井九段になれるわけではありません。私もあの時こうすればよかったと後悔することもありましたが、今はそんな思いは卒業して毎日を楽しんでいます。皆さんも病気をするまで頑張る必要はありません。自分ができる範囲で頑張り、今、生きていることを楽しんでください。