
地域住民4名と20名ほどの3年生それに指導の先生とで楽しい時間を過ごすことができました。
地域住民がもう少し増えて欲しいものです。

ジェスチャーゲーム中
・チャンバラ?、切腹?ーーー答えは「武士」
刀を二本腰に差し、腕組みして歩いてくれたら当てられたかも。
・1970年代で女の子が一番なりたかった職業とはの問題
答えは「スチュアーデス」ーーーほとんどの子が「スチュアーデス」という言葉を知らなかった。今は「キャビンアテンダント」だって。ジェネーレーション・ギャップ!!
人生で影響を受けた出来事や人物
御所野元町七丁目 松田幸久
私が皆さんと同じ中学3年生の時はちょうど第1回の東京オリンピックが開かれた昭和39年でした。その頃は何か悪いことをすると親から「先生に言うよ」と言われ、先生は親からも社会からも今よりリスペクトされていました。
私が影響を受けた人は社会科を担当する熱血漢の先生で、過去にスリッパで生徒のほっぺたを引っ叩いたとかで、出世を諦めていました。そんな先生が勉強のできない(今でいう落ちこぼれ)中学3年生7~8人を夏休みから10月下旬まで毎週土曜日の夕方に自宅に呼んで個人個人に勉強を教えてくれました。
私もその中の一人で算数の試験では50点も取れませんでした。特に、文章問題が苦手で、例えば「0.9%の食塩水500㏄を作るには500㏄の水に食塩は何g必要か」といった問題が解けなかったのです。
これは比率の問題で小学校の4~5年生で習いますが、その頃病気で休んでおり比率を理解していませんでした。先生は小学校4~5年生の教科書まで戻り教えてくれました。それからは算数の試験は80点台を取れるようになりました。
先生はその他の教科も教えてくれて、勉強が終わると先生の弾くオルガンで皆で文部省唱歌を歌い、暗い中を家に帰りました。今の私があるのはその先生のお陰です。
現役の頃はいろいろな種類の動物や体重の違う動物に麻酔薬や薬を投与していましたが、量や濃度を間違えると動物は苦しんだり、最悪の場合には死んでしまいます。つまり比率の計算が大事なのです。
皆さんも、どこかで躓いたら躓いたところまで戻って勉強してみてください。きっと勉強が苦しくなく楽しくなりますよ。
次のリレー通信は〇〇〇〇の〇〇〇〇氏にお願いします。
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