秋田青年師範学校とは・・・

◎秋田青年師範学校の歴史
大正12(1923)年:「秋田県実業補習学校教員養成所」が、南秋田郡旭川村(現秋田市)の県立農事試験場に併置され開校
昭和10(1935)年:「秋田県青年学校教員養成所」に改称
昭和16(1941)年:河辺郡四ツ小屋村小阿地字狸崎の地に校舎を新築し、独立移転
昭和19(1944)年:「官立秋田青年師範学校」に改組・改称
昭和24(1949)年:秋田大学発足により同大学学芸学部に包摂、四ツ小屋農場となる
平成2(1990)年:秋田新都市開発整備事業(御所野開発)により校舎群解体

◎四ツ小屋村に新築移転した青年学校教員養成所(『秋田県教育史』より)
 青年学校教員養成所はいろいろな曲折を経ながらも、昭和13年12月の県会で独立移転が決定し、それに伴う予算も可決されていた。工事を着工したのは翌14年8月であるが、完成したのは2年後の16年7月で、この時点で農事試験場から移転することになった。
 新校舎は当時の河辺郡四ツ小屋村(現秋田市)で、敷地は同村から9町9反7畝余を寄贈してもらい、総予算額は5万3千870円余が見積もられている。またその中には河辺郡各町村と郡教育会から寄付金5千円も含まれていた。
 新校舎は木造平屋建430坪余りで、その資材は元日赤秋田支部の本館・付属建物の一部を譲り受けたものである。本館には事務室・所長室・教室・教弁室・実験室・宿直室、小使室などをほぼ東西に並べ、それに接して東側に南寮を置いた。そこから北に直角に廊下をのばし、南寮と平行した北寮と結びつけ、北寮には食堂・舎監室・風呂場・炊事場・炊夫室・加工場などをおいた。農具舎・収農舎及び農夫室等は別棟としたが、これは寺内町から運んだものである。このほか4町3反歩の実習農場と2千400坪の運動場、そして4町歩の原野が備えつけられていた。



校章
(『創立百年史 秋田大学教育学部』より)



秋田青年師範学校校舎全景
(『創立百年史 秋田大学教育学部』より)



秋田青年師範学校校舎
(『秋田県教育史』より)



校舎平面図
(『創立百年史 秋田大学教育学部』より)

御所野の歴史文化を語る会会員の寄稿